有田陶器市で、本通りからはずれた橋の向こうに白い花が
(←全体像が見えるのでクリックしてみてください)
今時分、あんなに沢山の大きな花があるなんて・・!!!
陶器市のお祭り用の作り花かしら・・
近づいて見れば、ホンモノの花、しかも大きなドームから更にツルが伸びている
『ナニハイバラ』 江戸時代に関西に渡来したバラ。それ故『浪速』の名が付く
ちょうど帰宅後に朝日新聞の『花おりおり』に載っていた
現代のバラとは別種で、原種に近い。ハマナスに似た一重の花。
もっと、近づいてみる ♪
バラなのに、和風のたたずまいに似合っている
陶器より売れるかも(笑)という苗を、はるばる有田からお持ち帰り!
我が家に根付いてくれるかしら・・・
ようこそ我が家初お目見えのバラちゃん。
実母・義母の次に母と言えば、先日訪ねた‘ I さん ’を思います
30年以上、電話や書面でのやりとりはしていても、私は初対面でした。
彼女の息子が亡くなった年令を今年我が息子は越えました。
ごく平凡な妻であり母であった人が、息子の生死の情報を得るために動き回り、その死が確定されてからは、亡き息子の生き様が無駄ではなかったと彼の生の証を世に発信し続けてきた気力・体力は母の力そのものでしょう。「一途でしたから・・」とおっしゃる言葉がすべてを物語るのでしょう。
彼女に会うことが今度の旅の目的のひとつでしたが、初対面とはいえ、思っていたとおりの方で、旧知の人に会えた喜びで胸がいっぱいになりました。
本人曰く「上半身は元気です」
そのとおり、端整な顔立ちに笑みを浮かべながら話す口ぶりはとてもしっかりとしていて、記憶力も素晴らしく私たち以上によく覚えていらした。
何より若い。立ち居振る舞いこそややおぼつかなくなっては居ましたが、座っていれば、83才の女性にはとても見えません。
独居暮らしでご不自由なのでは?と問えば、「私は、何でもすぐ人に頼り、楽な方に流れがちなのです」と、人に頼り切らないキリッとした生活を心がけていらっしゃる心の奥での決意が感じられます。 また、息子・夫の暮らした地をおいそれと離れることはできないのでしょう。娘さんが時折通ってこられるとのことでしたが、お台所に立てば我が家が恥ずかしくなるほどきちんと整頓され埃ひとつなく、さすが!と舌を巻きました。
信念の母は、とても優しく気を遣ってくださる素晴らしい女性でした。
わたしには・・・83才の自分がまるで想像できません。彼女のように、一本筋の通った生きかたをしていかれるでしょうか。 自問自答する帰途でした。
別れの時はあえてさようならとは言いませんでした。「今度会う時までお元気で」と。